
チョコラーテ chocolate(西) chocolat(仏)
16世紀よりスペインの侵略を受けたマヤ族、アステカ族は共にチョコレートを飲みましたが、植民地での布教の拠点となった修道院では、より深く原住民と接することにより
チョコレートを飲む習慣に接し、すでにスペイン人は現地にないサトウキビを持ち込んで
栽培してもいたので甘いチョコレートを飲むことができ、この習慣が定着していきました。
「チョコラーテ」という言葉はマヤ語の「チョコル」や「チョコラッホ」、アステカ語の「カカワトル」から
スペイン人が造語して「チョコラトル」となり、スペイン人が発音しやすく変化したようです。
イエズス会は植民地でカカオを栽培管理し、その収益は莫大なものでした。
本国へ輸出し、本国の修道院からフランスなどの修道院へと伝えられ、
王侯貴族の間にもチョコラーテの愛飲者が徐々に増えていったようです。
フランスへ入ってから種々の固形ショコラもつくられ、菓子としても好まれるようになりました。
しかし、まだ20世紀に入ってからの工場製品とは異なる、マヤ・アステカのチョコレートでした。
どちらの国でも飲むものと食べるものの呼び名の区別はなく、チョコラーテであり、ショコラです。

ピエドラとポルボロン。
スペインでは今もアステカ・マヤ方式で豆が挽かれ、飲まれています。
上の2つの写真はバルセロナの旧市街にある大好きな老舗ファルガスのチョコラーテです。
この塊は1つづつブロックになっていて、ひとつが1カップ分で
お湯や牛乳で溶かすだけで飲めますし、そのまま食べることもできます。
店ではガラス越しに石臼が回っている様子が見え、挽きたてのチョコラーテが買えるのです。
1つづつキャラメル包みされたものをこの店では「ピエドラ(石)」と呼ばれ、1個でも売られています。
チョコラーテ好きの私はこれに大満足。私は飲むよりかじってしまいますが・・・。
粉状のものは「カカオ」と呼ばれ、オランダ人のバン・ホーテンの発明したココアとは違います。

バルセロナの甘いもの屋さん通りの壁に埋め込まれたチョコラーテ屋さんの絵が描かれたタイル絵

カカオの木は大木の影にひっそりと生える華奢な木。
*追記* ファルガスの石臼が回る様子はもう見れないそうです。
