
越後土産その2*越後のゆべし
江戸後期につくられたこの「越後土産 産物見立取組」には興味深いものがいろいろあります。
今回はお菓子がたくさん登場する番付表を見てみました。
1の「長岡越の雪」は江戸時代の資料にも記録が残り、今も銘菓として知られる存在です。
と同時に、古い菓子本などでは、白雪こうについての話の中で「高田 越の雪」という記述も見かけます。
「越の雪」は長岡だけでなく、明治時代頃までは、他県のお菓子屋さんでもつくられるほど人気があったようです。
9の新潟若狭屋さんでもつくられていた記録があります。
そういった中で、長岡大和屋さんの「越乃雪」は、特別だったわけです。
落雁でもなく、白雪こうでも、粉菓子でもなく、あくまでも「越乃雪」。
長岡藩9代藩主牧野忠精公による、という口伝のある命名は素晴らしいと思います。
そして私には、長岡に帰れば、実家の近くの大和屋さんの生菓子を食べられるという楽しみも待っています。

さて、ゆべしです。2と5、同じゆべしでもかなり違います。
上の「糸魚川ゆべし」は輪島の丸柚餅子のような、味噌入りの珍味ともいうべきゆべしです。地元では椀種にも使うとか。
糸魚川は新潟県でありながら、富山だったっけ?と思うことがあるくらい私には遠い存在。
このゆべしを知っているか?としつこく聞く私に、
高田に住む友人がみかねて買いに出かけ、東京まで送ってくれたのでした。
なんとこの「御ゆべし」をつくるお店はお菓子屋さんでなかったそうです。えー、びっくりなご本業!
加賀藩の参勤交代の江戸土産にもなり(糸魚川は北陸信州越後の要、3つの文化が混じり合う。)、
将軍の覚え目出度く、それ以来「御ゆべし京屋藤兵衛」と名乗ることを許されたとのこと。


そして、「福井ゆべし」。
「米百俵」の送り手である越後三根山藩、藩内の福井では柚餅子をつくる家がたくさんあったそうです。今は2軒。
そのうちの福井近辺でしか買えない末廣屋さんへ行ってきました。
巻町福井は合併してなんと新潟市になってしまいましたが、とってもしっとりと落ち着いた町並み。
越前朝倉の末裔の伝説もあると聞く越前浜からすぐ内陸の、独特の文化を持つ福井地区です。
ゆべしもこうした、海でつながるお隣同士のような、親しい歴史を継いでいきた菓子なのではないかと思うのです。


上のような小さなものと竹の皮に包まれたものと2種類あって、どちらも柚子の風味がおいしいとってもやわらかな柚餅子です。
しおりには良寛柚餅子とも。今のご主人で柚子づくりは終わりという末廣屋さんの玄関。「柚餅子製造販売所」の看板がなければそれと気づかない。


写真は真ん中が糸魚川の「御ゆべし」。上が福井の末廣屋さん。下がもう一軒の本間屋さんのゆべし。本間屋さんには笹ゆべしも。
新潟が味噌入りゆべしから東北のお醤油ゆべしに変る境でしょうか?柚子が採れる北限(少なくとも江戸期には)と言われていたそうです。
もう一度番付をみていただくと、4の「片貝衣がや」は数年前に廃業されてしまいました。
三条の「常盤餅」は良寛さんと懇意だった三浦屋さんがつくっていたようですが、こちらもまた廃業されています。
7の「弥彦兎まんじゅう」は今の弥彦の玉兎の前身。明治以降に今の粉菓子になったそうです。
他の菓子は現在まだ不明です。どれも残っていないようですが、どんなものであったか探っていきたいと思います。
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