おけそくとキリサゲ

今年は越後堀の内で数年前に買い求めた「キリサゲ」を「おけそく」に飾りました。
「おけそく」とは、越後長岡周辺では、鏡餅のことです。

このキリガミは、1枚の半紙から、扇(中に「目出」の文字)と鯛を切ってあります。
合わせて、「めでたい」。
そして、蔵の鍵と七宝、打出の小槌がちいさくつなげて切られています。
「キリサゲ」は、本来松飾りにさがるように取り付けるタイプの切り紙です。
その様子は、小さい写真ですが、「おけそくとはっちょうがみ」のページでご覧いただけます。

新潟県では、こうした正月の神棚や鏡餅、松飾り用の切り紙が広く行われていて、
それも民間に型紙などが伝えられ、切られていることも、全国的には珍しいことのようです。

上杉家移封後、加賀藩のように巨大な主家を持たなかった越後。
日本海を庭として向かい合う、大陸との相互影響下での民俗文化をベースに、
明治の始めまで日本一の人口を養うことのできた、質量ともに豊富な食文化と、
民間による日本海の海運、信濃川の船運による経済文化とが相まって、独自の文化が育まれてきたようです。

そのため、他藩では一部の人間に属するコトやモノが、一般化された現象によく出会います。
菓子でいえば、御留菓子レベルのものが、民間の菓子として浸透しています。
それはたとえば、「うば玉」「ふきよせ」といった菓子です。

上杉遺民を危険視した徳川幕府によって、細切れに分割統治された越後各地では、
もともと名もなき人々によって受け継がれる民俗行事が、大きな権力による介入もなく、
各地で古式を残しながら、さまざまに定着したのだと思います。
江戸期にすでに由来不明の「インノコ朔日」などの行事をはじめ、稲作儀礼をきっちりできたのも、
それだけの人手があったからこそ。そして、人口を養うだけの米が収穫できたことと切り離せません。

「鏡餅」を長岡周辺では「おけそく」と呼ぶのですが、これも一様ではなく、
会津藩の支配もあった隣接の小千谷では「福手」と呼ぶ違いなども、興味深く思っています。


こちらは「七福神」のキリサゲ。まゆだまの枝にさげて。
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2011.1