
千躰荒神さんの釜おこし
南品川の旧東海道沿いにある海雲寺は、境内に千躰荒神堂があることで知られています。
この荒神堂は「江戸名所図会」にも当時の様子が描かれていて、
台所の神様、竈の神様として、江戸だけでなく近郊も含め、庶民の熱い信仰を集めていたようです。
大祭は3月と11月のそれぞれ27日と28日の2日間です。
映画『幕末太陽伝』で、この荒神堂のまつりの賑わいの様子を見た友人が、3月に行ってきました。
そして、お土産にいただいた「釜おこし」に私は惚れ込んでしまったのです。



護摩堂では、それぞれ自分の家の台所から「お宮」と呼ぶ、小さな厨子に納められた三宝千躰荒神様を
大切に持っていらした方たちで、初日の午前は行列をなすほどでした。
護摩の火にあうことで清められ、霊験を増した荒神様を、また大切に包んで持ち帰るのです。
その帰り道はだれとも話をしてはいけず、寄り道もいけないといわれていたそうです。
浅草からのご婦人がたは「なんでも願いがかなうのよ。」「あらたかよー。でもちゃんとしないとね。」と
霊験あらたかなだけに、日頃粗末にする者には、睨みをきかされそうです。
護摩堂正面には荒神松の意匠でしょうか?御紋が清々しく感じます。
また鍋島家の杏葉紋を思わせるような御紋も使われていました。
このご本尊の荒神様が、一時肥前鍋島藩領であった天草に由来を持つ荒神様であることからでしょうか?
戦乱を避けて、鍋島藩江戸屋敷内に祀られるようになったのが、江戸に移るきっかけのようですが、
天草の「荒神ヶ洞」の話は面白そうです。ご当地ではどうように語られているのでしょうか?
護摩の火は、恐ろしいほどバチバチと焚きあがるのではなく、竈の火のような様子です。
大きくはない堂内は暖かな雰囲気で、紅白のお餅をお供えする人、拝む人、おみくじを引く人、
自分の家の「お宮」を大切に包んでいる人、護摩木を焚いてもらう人、あたらしく「お宮」を受ける人・・・と、
護摩の火をめぐり、台所の神様の聖所は親しみやすい、なにか居心地のよい場でした。
この千躰荒神様は、「荒神松」と「釜おこし」が昔からの縁起もののようです。
「しんしょうおこす、かまおこし」と、売られていたそうで、家族の人数分を買って帰るしきたりだったそうです。
「おこし」を「起こし」にかけているわけです。しんしょう(身上)とは財産のことですから、ご利益は大きい!
荒神松も「自然に曲がっている」松葉が混じるものを、熊手の「かっこめ」(掻き込むの意)にかけて、
普通の松の倍の値段が・・・。縁起のよさをあれこれ考えだす江戸っ子の気風も感じられました。

*
また、この時期、護摩木を焚くというと、京都の「お火焚き」を思いだします。
あちこちで、お火焚き祭りがあり、その縁起菓子は「お火焚き饅頭」と三角の「柚子おこし」そしてみかんの3つ。
去年、京都の友人がこの菓子2種を送ってくれました。言われたとおり、みかんを添えてパチリ。

火炎宝珠の焼印のある、たっぷりとした紅白のお饅頭。火の神様は「おこし」がお好き?
京都で荒神様というと、荒神棚の伏見人形製の布袋さまを飾る風があり、
また、荒神様を親しく「三宝さん」と呼ぶことなども、知りました。
「お供えは三つ重ねのおけそくさん三つ、ろうそくも三本」だそうで、「三」が聖数なご様子。
こういった神仏習合以上に混じりあった民間信仰はとても興味深く、不思議がいっぱい。

私にいつも京都のことを教えてくださる方のお宅の荒神棚、「三宝さん」。いつもとてもきれいにされています。
小さいものから始めて、一体ずつ、毎年初詣の時に前年より大きな布袋さんを買い求めたそうで、
昔は竈の上の方に、七体の布袋さんが、竈の煤で黒くなって一列に並んでいたのだそうです。
今は新しい台所の荒神棚に、二列になって並んでいらっしゃいますね。
不幸があったときには、それまで揃えた分をすべてお返しし、また一番小さな布袋さんから始めないといけなかったそうです。
七体揃えるということ、さらに黒く煤けているということは、とてもおめでたいことの証だったわけです。
「火除布袋」については、村上敏明さんの「伏見人形・土人形のふるさと」の布袋さんのページが参考になります。
また、マカオで見つけた竈神の紙衣も「玩具菓子」のページでご覧になれます。
冒頭でご紹介した川島雄三監督の映画の中には、大森の麦藁細工の1つで、すでに廃絶した住吉さんの「人気傘」なども再現されて
笹竹に提げて持つ様子が見られるそうです。私も見てみたいと思っています。
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