
順徳天皇と「都忘れ」
「いかにして ちきりおきけむ白きくを みやこわすれと名つくるもうし」(菓子の栞より)
「庭砂こう」でもご紹介した松坂屋さんの「都忘れ」は
都から佐渡に流された順徳天皇が詠まれた歌に因み、大正時代に創出されたお菓子だそうです。
そして、この美しい意匠は、順徳天皇がお好きだった白菊を模したものだとか。
「都忘れ」という花の名は、順徳天皇がつけられたのですねぇ。
2月、天神講の展示に出かけた出雲崎で、順徳天皇の守護神だったという天神像にまつわる話に出会いました。
承久の乱(1221年)で、鎌倉幕府によって佐渡に流されることとなった順徳天皇は、
五体の持仏とともに佐渡へ渡ったそうです。その後、1242年に佐渡で崩御されました。
そして300年以上経ち、上杉景勝が佐渡平定の折(1588年頃)、五体のうちの天神像を、
出雲崎での陣をおいた多聞寺へと持ち帰ったとのこと。
出雲崎では、昭和3、40年くらいまで、「天神さまのお練」があり、
輿に乗せられた天神さま(御前立ち)が、講中の方たちに引かれて、町内を巡ったそうです。
お参りをすると、ひとすくいのポン菓子、もう少し後には梅の花の形の打ち菓子をいただけたそうです。
順徳天皇ゆかりの天神さまは、出雲崎の人々によってもお祀りされてきたわけです。
天神講のお菓子に関する物語に美しい花がひとつ添えられ
いにしえの都人にさえ、親しく気持ちが通うようです。
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