「生じめ」と「白雪こう」そして「ペクソルギ」

「白雪こう」という今は幻の菓子があります。
「こう」は「米」へんに羔です。

良寛さまがこの菓子をご所望になる手紙が三通ほど確認されています。
そのことについては、現在「良寛さまおこのみ 白雪こう」というお菓子をつくられている新潟県出雲崎町の
大黒屋さんに教えていただいたことなどをまとめた「白雪こうと良寛さま」(準備中)をご覧いただけたらと思いますが、
「白雪こう」は菓子の歴史の中では、とても重要な存在にもかからわず、
江戸時代後期くらいには、すでに落雁と同じようなものになった(特に江戸では)とされていて、
「ハクセンコ」「ハクセッコ」などの呼び名は、今も西日本の各地に残りますが、
もとはどのようなお菓子であったかは、すでにわからないというのが現状です。

本来の「白雪こう」は、生のウルチの米粉をワクに詰めてから蒸す、という製法が伝えられており、
製法からいえば、蒸し菓子です。
それが、モチ米粉を炒ってから、ワクに詰めた後、乾かす、という「落雁」の製法が広まることで
日持ちもよく、作業が簡単な落雁的製法に飲み込まれていったようです。


現在は炒った米(ウルチも)の粉を使う。出雲崎の「良寛さまおこのみ 白雪こう」。
「薬白雪こう」に因んで、山芋粉も入っています。以前は蓮の実の粉も入れていたとのこと。


良寛さんの時代、越後ではまだ生のウルチ米の粉を蒸していたと思われますが、
江戸では、すでに少し変化し始めていたかもしれません。
越後長岡の「越の雪」も、最初から蒸し菓子の「白雪こう」そのものだったとは思えないですし。

十辺舎一九が『金草鞋』にも記した、越後高田の「粟飴」が人気を博したのは、粟でなく米をベースに
よりおいしい飴をつくっていたからですが、「越の雪」も「白雪こう」の名残を残しながら
日持ちのしない蒸しものだった「白雪こう」を改良して、つくりあげたのではないかと思うのです。
もちろん秘伝、口伝でしたでしょうから、何かの根拠があるわけではありません。

ただ、その後「越の雪」の名が全国的に広まると、菓子屋はご注文に合わせてつくるのが仕事でしたから、
人気の菓子を食べてみたい注文主(藩主を含め)の意向を受けて、それぞれのお菓子屋が工夫し、
それぞれの「越の雪」をつくりあげていた様子が、明治くらいまでは見うけられます。
そうした積み重ねがあって、長岡大和屋の「越の雪」がいかに名品であるかが、認知されていったのではないかと思います。



本題に戻り、「白雪こう」は、韓国の「ペクソルギ」とルーツを同じくするものと思います。
「ペクソルギ」は、韓国でも漢字表記をすると「白雪こう(「米」へんに羔)」です。
そして、製法は生のウルチ米粉に砂糖(入れないの場合も)と塩をあわせて、しっかり蒸します。
韓国では「お餅」の部類です。「生の粉を蒸す」蒸し餅で、日本では蒸し菓子といえるかもしれません。
「粉を蒸す」ということに馴染みのない日本人には、ちょっと理解不能に陥りがちですが、
新潟での「粉菓子」というその名の、「粉」の意味がより明確になる気がしています。



韓国の「ペクソルギ」(写真上)、長崎・佐賀の「口砂香」、沖縄の「コー菓子」、東北の「塩釜」、
新潟にいまだ残る「むつの花」「庭砂こう」、さらに江戸期の「算木餅」「乳の粉」などなどを検討し、
長い間、自分なりに越後の「粉菓子」のルーツでもある「白雪こう」について考えていたのですが、
最近あらたに大きな出会いがありました。


今年の五月に金沢の寺島蔵人邸に伺い、お茶室で寺島蔵人、牛之助のことなど伺っていた時のこと、
私がお菓子に興味があることをご存知の寺島さんが出してくださった菓子が、一番上の写真の「生じめ」でした。
いただいてみると、他に同じような菓子がないと感じ、強い印象が残りました。
秋田の「山科」という不思議な菓子と、近くもあり、また違っていたのです。

実は、寺島さんも私も2日後の七尾のお寺の行事に伺う予定になっていて、
私自身旅先でもあったため、この菓子のことはいったん封印。
お土産の「生じめ」と一緒に、強く残った印象もかばんに詰めて持ち帰りました。

自宅に帰ってきてから、何気なくレンジで温めました。そうするほうがおいしいと思ったからです。
温めた「生じめ」はとてもおいしく、その時にずっとぼんやりしていた印象がクリアになりました。
これは「白雪こう」の名残に違いない!と。そしてなにより、温めた「ペクソルギ」に似ていました。

おそらく金沢の「生じめ」をよく知る方がたには、まさか、と思われるかもしれません。
それでも私は、落雁文化一色になっていると勝手に思いこんでいた金沢に、
「白雪こう」の名残が、新潟以上にもとの形を残して続いていたことに感動しました。
その後、寺島さんが、おつくりになった「吉はし」さんに聞いてくださったところ、
「白雪こう」の名も出されたそうで、先代のつくられていたものを少し改良されていらっしゃるとのこと。

金沢では、他のお菓子屋さんでもつくられているようです。
ただ、出雲崎の大黒屋さんもおっしゃるように、店売りはむずかしいと思われます。
食べる前に「蒸す」ことで、本来のおいしさをより発揮するからです。
茶席などでは直前に蒸すことができるので、金沢でも茶席でよくつかわれてきたのではないかと思います。



大徳寺納豆入りの「生じめ」は絶妙な味わいでした。
私にこのお菓子との出会いをつくってくださった寺島さんに感謝いたします。

砂糖を入れないことがあっても、塩は必ず入れるとされる、ペクソルギ。
そのあたりにも、「塩釜」が「白雪こう」の名残といわれる所以が隠されているように思います。
秋田の「山科」もこの「白雪こう」のもっちりした食感を引き継いでいるようにも思われ、興味深いところです。


そして、韓国の白雪こう(ペクソルギ)と塩茹での小豆の層を重ねて蒸したものが、この写真の「シルトック」です。
お祝い事に欠かせないお餅で、日本のお赤飯的な要素があるかと思われます。
でも米はウルチです。そして粒食でなく粉食です。ウルチの蒸し粉餅が「お餅」の基本のようです。
「シル」とは甑のこと。素焼き焼締めで底が丸く、大きめの穴がいくつかあいた甑です。

薩摩の「高麗餅(これもち)」は、朝鮮半島から連れてこられた陶工たちがつくったのが始まりとされており、
朝鮮人陶工たちが祀った神社には、このシルトックに近い蒸し餅が今も供えられているようです。
また、和菓子でいう、「村雨(種)」や「時雨(種)」はシルトックが和菓子化したものに思えます。
「炒粉餅(いこもち)」や「かるかん」も、ペクソルギからの遠い親戚なのかもしれません。
「かるかん」にも一筋縄でいかないストーリーが秘められていそうですが、また別の機会に。



最後になりましたが、寺島蔵人(1777〜1837)について。
加賀藩に仕え、奉行職など歴任し、民衆からも信頼の篤い武士だったそうですが、
正義感の強さゆえ、他の重臣との対立もあり、藩主急死に際し、能登島に流される運命に。その年のうちに能登島で亡くなるのですが、
能登島で書いた日記(『島ものがたり』)には、珍しい金花糖をはじめとしたお菓子についての記述もあって
蔵人のもとへ、たくさんの食べ物や菓子が届けられた様子が伝わります。

お屋敷は、金沢市の文化施設の一つとして一般公開されておりますので、どうぞお出かけください。
詳しくは「寺島蔵人邸跡ホームページ」でどうぞ。

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2010.11