
虎屋文庫展示風景・赤坂虎屋本店2F虎屋ギャラリーにて
虎屋文庫展示より*錦絵の中の辻占菓子*
2004年11月の1ヶ月間、虎屋文庫のギャラリーにて「占い・厄除け・開運菓子展」が開催されました。
ギャラリーの1/3ほどのスペースはこの『いとおかし』ではお馴染みの辻占菓子についての展示でした。
辻占菓子にこれほどの関心をよせる展示は他になく、私にとって貴重な展示でした。
その中から今まで『いとおかし』に一番不足していた、江戸・明治の辻占菓子と辻占紙片を
この展示を通してご紹介したいと思います。

「菓子屋店頭の図」2代国貞・1868・虎屋所蔵
右から2人目が店主の「小悦」。右手に菓子の入った箱、左手に辻占煎餅を持つ。煎餅は湿気を避けるために甕の中に保存?
淡島寒月は『梵雲庵雑話』の中で、初めて辻占を売り出した横山3丁目の望月という菓子屋について語っていますが、
同じ店の様子をこの絵は描いているようです。
当時、豆や昆布や煎餅などに辻占の紙片が入れられ、
それぞれ「辻占豆」、「辻占昆布」、「辻占煎餅」と呼ばれていましたが
煎餅が形態的にもバリエーション豊かでした。
江戸・明治の錦絵に見える辻占煎餅は丸く焼いて二つ折にしたり(双六絵)、四つ折にしたり。
画像ではわかりませんが、団扇絵のなかに描かれた煎餅は赤い紙で留めてあるようにも見えます。
「菓子屋店頭の図」では小悦が四角い煎餅を折たたんだような巻煎餅を手にしています。
このように錦絵の中にたくさん辻占煎餅が描かれているのを知り、改めて驚いてしまいました。
余談ですが、柳橋の元芸者の「小越(悦)」は越後(新潟)月潟村の角兵衛獅子が十八番だったそうです。
小越さんは越後出身なのでは?と親近感が湧きます。月潟は昔料亭も多く、とても栄えた地域でした。
次に煎餅はどんな材料で作られていたのでしょうか?
まずは、『いとおかし』でもご紹介している、伏見や新潟中越地区に残る小麦煎餅です。
そして次に、薄い餅を金型で焼いた、今でいう最中の皮のような種煎餅(麩焼き煎餅)があります。
金沢などで現在つくられている辻占菓子にはこの種煎餅を細工したものが残っています。
当時の記録に多く残る「最中ノ月」「軽焼」といった菓子もこういった種煎餅の一種だったのでは?
今ではこういった種煎餅は辻占と同じように、誰もが知っているものではなくなってしまいましたが・・・。
因みに、まゆだまの枝に吊り下げる、餅を金型で焼いてでつくった張子のように立体的な形の種物も
「マユダマセンベイ」「ダンゴサシセンベイ」「ツリセンベイ」「フナセンベイ」などと呼びます。
また、瓢箪山稲荷神社の辻占縁起物「福笹」は、辻占が笹につけられた瓢箪に入っているのですが、
この瓢箪もやはり餅を金型で焼いています。宮司さんが「餅花」と呼ぶこの瓢箪もまさに種煎餅です。
煎餅の他には、まずモースが「日本その日その日」の中で図入りで言及している辻占菓子があります。
その形は、「糖蜜製の菓子」と表現されている素材とともに興味深いものです。
それは突羽根型で、つくは祢屋さんの「筑羽根」や鶴来地方の辻占菓子に類似の形です。
現在つくは祢屋さんの「筑羽根」には辻占は入っていませんが、
古い資料には熱田に突羽根型の辻占菓子があるという記録も残っています。
また、突羽根型の辻占煎餅(中から役者絵の辻占!)が描かれている錦絵も見つかったので、
江戸にも!?錦絵はいろんなこと教えてくれます。
そして驚くべきはこれらの煎餅の中に入っていた辻占です。
展示にもあるように、役者絵や判じものような辻占は多色刷りで、ついコレクションしたくなるようです。
菓子より中の辻占が目当てで買うことのほうが多かったのでは?食玩が流行る今と同じですね。
その他、廃絶した辻占菓子のなかには、干菓子に入れたという例もあり、
実際に新潟小出のお菓子屋さんでは、昔は小型の落雁の中に入れていたこともあったと聞きました。
錦絵の中で幻の辻占菓子たちに出会えたので、今度は再現してみたくなりました。
虎屋文庫展示全体については、詳しく「かわら版」でご紹介しています。
今回の展示では、いつも私に辻占についてたくさんのことを伝授してくださる、
辻占研究家の青木元さんと辻占研究者の中町泰子さんの研究成果が多くみられました。
これからもおふたりの研究が進みますことを期待しつつ、私も新潟の辻占煎餅を中心に記録していけたらと思います。
辻占研究家の青木元さんのブログ「恋乃辻占堂日記」へリンクさせていただきました。
辻占について詳しく知りたい方は、さかのぼって最初から順番に読まれることをお勧めいたします。

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