笹野の削り花・紙花

小正月と言う言葉は、すでにあまり馴染みのない言葉になりました。
簡単に言ってしまえば、(大)正月は、私たち自身の体に新しい生命(トシダマ)をとりこむ時だとすると、
小正月は私たちの生命を支える五穀の豊穣を祈る時だと思われます。旧正月とも言われますね。
本来は、一年の初めの満月の日である小正月こそが、正月だったようです。

この小正月にまゆだま(餅花)とともに、よくつくられ、飾られた削りかけ。
まゆだま(餅花)や削りかけは、「ハナ」とも「ツクリモノ」とも呼ばれ、予祝の願いを込めた捧げものであると思われます。
一例として、江戸末期の越後長岡のまゆだまと削りかけが、「餅花からお炒りへ」でご覧になれます。

上の削り花は「古代ぽっぽ」をつくっていただいた笹野の高橋信行(翔鷹)さんの作です。
木を削りかけて「ハナ」とする、その美しいかたちに目を奪われます。
「笹野花」と呼ばれる削り花は、「ハナ」としての削りかけの究極の形のように思われます。



1月17日、米沢市にある笹野観音の十七堂祭には、笹野花と呼ばれるハナがお堂内と外の道場にも供えられ、
境内では花市が立ち、笹野花や、「お鷹ぽっぽ」などの削りかけの縁起物が売られます。
昔は深い雪の中、市民が笹野観音まで歩いて行くのは困難だったため、米沢の市街地のほうに市が立ったそうですし、
また、お正月用にと、笹野から花を売りに歩いたそうで、それらは今も続いているとのこと。

笹野の農家の手仕事として伝えられてきた削りかけの数々。名もなき人々が伝えた手仕事です。
削り花が有名でしたが、出かける前に見ていた古いモノクロ写真に、削り花ではない花が写っているので、
その花がいったいどういうものか知りたくて、祭の日に合わせて雪深い笹野観音へ向かいました。

削り花も一様でなく、様々な手法が見られましたが、雪椿の枝につけられた紙花の椿に息を呑みました。
紙の椿といえば、東大寺の二月堂のお水取りの椿が有名です。僧侶の手作りと聞きます。
笹野の椿は和紙(普通の半紙)でつくられ、当地でズイの木と呼ぶ木の枝を芯に作られています。
つくり方は、エキグチクニオさんにお聞きした造り花の方法とそれほど違いません。ただ一点を除いては。

その一点とは、最後に蝋をひくことです。できあがった花を逆さにして、溶かした蝋の中に浸すとのこと。
蝋がひかれて半透明になった花弁は独特の美しさ。
蝋が貴重な産物であった頃には、ハナとしての最高の装いだったことでしょう。

そして、他のハナはツゲの枝につけられるのですが、椿だけは雪椿の枝につけられます。
笹野には雪椿の群生地があるそうです。雪椿は藪椿と並ぶ原種の椿ですが、越後が自生地といわれます。
因みに、新潟県は長崎県とともに、椿を県の木としています。
越後から笹野へ与板衆の武士が運んだのかと、思いを馳せてしまいます。単なる思い込みですが。



私が花小屋で買い求めたこの数種のハナは、高橋清雄(惣兵衛家)さんの作。
高橋さんは十七堂祭では、山伏としてお勤めもされていらっしゃいました。
信仰のハナでもあった笹野花は、今も修験の修行をされる方がたによってもつくられているのです。
後日お話をうかがうことができ、アイヌのイナウとの違い、いくつかの家によって流派があることなど教えていただきました。
どの家もそれぞれ素晴らしく、祭の日の花小屋では迷うばかりでした。



笹野観音入口近くのお蕎麦屋さんの古い民家の座敷に、これぞ、まゆだま!という立派な飾り方。
小さな団子がたくさんつけられた、かんざしのような「イナボ」も下がっています。
山形や会津の種ものが混じっています。米沢で焼いていた方は残念ながら廃業されたとか。
この下で「かいもち」をいただきました。米沢で「かいもち」というと蕎麦粉でつくるそうで、柔らかめのそばがきという感じです。



夏の笹野観音。紫陽花寺としても有名だそうです。冬の十七堂祭には山門のすぐ内側に花小屋が立つ。

笹野観音には、千手千眼観世音菩薩をご本尊とする真言宗の寺院ですが、古くは羽黒権現を祀っていました。
現在はコモ包みとされ、観音堂の後神として安置されている秘仏ですが、直江兼継の命により羽黒山より移されたものだそうです。

また、伊達、上杉藩主にも篤く信仰された笹野観音の歴代住職には、どういうつながりか、何度か越後の寺からの僧が就任しています。
なかでも直江兼継が城主であった越後与板城の搦め手に位置する寛益(かんにゃく)寺の僧侶が、二代続けて住職を務めています。
直江兼継の直属の与板衆にとっては親しい寛益寺と、移封先の笹野観音にはすでにつながりがあったわけです。
そのためか、上杉藩の移封により、かなりの社寺が越後から米沢へと従ったのですが、寛益寺は今も越後に残っています。

この夏、長岡の三島の友人を訪ねる機会に、ちょっとだけのつもりで、三島逆谷(さかしだに)の寛益寺に寄ってみたところ、
直江兼継奉納の天神や、頭の上に干支をのせた十二神将など十八体の仏像を、思いがけずまじかに拝見できました。
しんこ細工のような素朴な形の犬を頭に乗せた仏像を見ているうちに・・・私が思いつくことはひとつ!
果たして、涅槃会には犬の子まきをすることもわかり、これからも何度かお訪ねすることになりそうです。
寛益寺が越後長岡に残っていてよかった!

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2009.8