宮島のたのもさん

広島の友人が主催するアトリエ ココ、NPO法人おやつくらぶのお手伝いをしながらも、
わたしの頭には、広島といえば宮島の「たのもさん」!だったので、聞いてみましたが、
広島市内の彼女たちからは、最初は特に反応はありませんでした。
でも、行事のことを何度か話すうち、興味を持ってくれるようになり、ついには当日行ってみてくれました。

すぐそばといっても普段は行くことのない宮島の、八朔行事に、友人らは感激して帰ってきました。
安芸の宮島といえば有名な観光地ですが、厳島神社という存在が大きいせいか、
かえってこのささやかな地元のお祭りが、地元の人たちのものであり続けたように思います。
その上、ちゃんと旧暦の八朔(八月朔日)、新月の日の夜に行われています。
観光化されすぎず、自分たちのための祭りとして、賑やかに行われている様子に私も感動しました。
そして、今もしんこで人形(ヒトガタ)や犬などをつくり、その他のお供物と共に
これまた手作りの「たのも船」に乗せて、宮島の鳥居を目がけて対岸へ送り出す様子を報告してもらいました。



海へ流す前に神主さんのお祓いを受ける。子供たちの力作の「たのも船」もずらり。


家族の人数分の人形と犬は欠かせないようですし、昔からカサを被り、簡略ながら紙衣(たすきや前かけ)をつけるようです。

この「たのもさん」、「田の面」とか「田の実」「頼み」など言葉に違いはあっても、全国にある、またはあった行事です。
現在は瀬戸内海沿岸に特によく残っていて、しんこ細工をともなっています。
尾道の「田面人形」は廃絶のようですが、『うなゐのとも』にも備後福山、松永の八朔の人形として描かれています。
いずれも紙衣を着ている点が興味深いところです。

四国の伊予地方でも現在「たのもさん」はあるようですし、八朔のしんこ細工という観点からは
丸亀などの「八朔のだんご馬」、牛窓の「ししこま」などの他、福岡にも八朔馬や団子雛が残っています。

しんこ細工まではなくとも、各地で、団子をこねたり、餅を搗いたりして八朔を祝ったようです。
江戸時代の越後新発田領の農民の生活を知ることのできる「粒々辛苦録」には
「八月 朔日 頼(たのも)の祝いと云て、この日は米の餅を搗く」とあり、
普段は米を十分に食べれなかったのか? 搗いたのは粳の餅だったのか?などと思いをはせます。

これらの行事は、稲の豊作とともに家族の安全を願うと思われ、さしずめ宮島の「たのも船」は
月の光のない夜、ろうそくを灯した船に乗せて、神様のもとへ送り出すお供物だったのではないかと思います。
この行事、人々の心情や素朴なお供物の形態がとてもよく残っているのではないでしょうか。


2010年、願いがかなって宮島へ。
朔の夜で、あたりはまっくらですが、四宮神社下のもみじ谷には光とざわめきが満ちて、なにかおとぎ話の情景のよう。
お祓いが終わると、三々五々たのも船をかついで浜に下りていき、順番に流します。祓いの意味もあるようです。
神さまの土地である宮島は、その土地を耕すことができず、農作物を大切に思う気持ちは他所より強かったとのこと。
今もかわらず、島の人たちの思いをのせて、対岸の稲荷神社へ向かう「たのも船」が鳥居に引き寄せられるようにゆっくり流れていきました。

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2008.2 / 2011.4 追加