
大正〜昭和初期にかけての宝船ブームとは?
宝船は、明治期に入り衰退していましたが、大正時代に再び宝船ブームがやってきます。
火付け役となったのは、田中緑紅氏が雑誌「郷土趣味」に掲載した「宝船」の紹介記事。
これにより、多くの人が、宝船の魅力にとりつかれ、収集するようになります。
京都の多くの神社仏閣の宝船が再版されるようになり、
お店や個人でも宣伝や趣味として宝船が刷られ、
竹久夢二などの有名アーティストが描くこともありました。
色街を隠し絵にした粋な図柄は、京都の甘味処「文の助茶屋」さんの宝船。
大正10年に作られています。

舟の積荷には七つの遊郭が隠れています。嶋原と五番町はすぐわかりますね。

我楽多宗の三田平凡寺の宝船
絵の中に七福神が隠れています。左から塔(毘沙門天)鼠(大黒天)
人形(布袋)鯛(恵比寿)へび(弁才天)鹿(寿老人)鶴(福禄寿)。
宝船の流行の波は、まだまだ続きます。昭和になると大阪の趣味人たちの間で「浪華宝船会」が発足。
各自、宝船を発行し配布場所を決め、一軒一軒訪問して集めるという遊びが行われました。
参加者には、おもちゃ絵画家の川崎巨泉や落語家の林家染丸(兎の宝船)、
交通資料収集家の山本不二男(切符の宝船)など。
図柄はどれも「宝船を刷ることが楽しくてたまらない」という思いを感じるものばかり。
大阪の旦那衆たちの「好きなことはとことんしまひょ」という遊びの深さに脱帽です。
こうしてみると、このブームは、枕の下に敷くという本来の目的ではなく、
収集して各地を回るオリエンテーリング的な楽しみ、コレクション的楽しみだったようですね。